所長コラム(142)「前例踏襲の是非」

皆様、こんにちは。運動研究所の宮島です。

さて前回は、前例踏襲が必ずしも悪いわけではないが、よくない場合もあることを書きました。今回もこの点について書きたいと思います。

前例を踏襲する場合には、その前例が陳腐化されていないことが重要だと思います。つまり、参考にするに値するかどうか、ということですね。時代の移り変わりや、環境の変化、世論の動きなどによって、その前例が時代や背景に馴染むのか?を考える必要があると思います。

しかしながら、世の中にはそういうことを考えることなく、あるいはあえて考えることを放棄したかのように、盲目的に前例を踏襲している例も目にします。

前例がないような場合、例えば単発でイベントを誘致したような場合は、なぜそのイベントを開催するのか?という理由、大義名分とも言えると思いますが、この理由が非常に重要だと感じています。東京2020大会が非常に大きな批判を受けながらの開催になってしまったのは、この部分が国民・都民に見えづらくなってしまったからではないかと考えています。この大会を開催することで、このような恩恵がある。ということはあまり示されることはなかったような記憶がします。以前に読んだ本では、当時の知事が「お祭り呼ぼうぜ」と言ったから招致したと書いてあったように記憶しています。(事実かどうかは私にはわかりませんが)

もしそうであったとすると、関係している各方面の方々が、「なぜ東京2020大会を開催するのか」を独自に解釈してしまうので、当然開催派と中止派が分かれてしまうことになるのも頷けます。従って、この場合はリーダーたる人が明確に「なぜ東京2020大会を開催するのか」「なぜ東京2020大会を開催するといいことがあるのか」ということを発信すべきだったと思っています。そのことがないままに、なんとなく招致活動が始まり、2013年9月7日(日本時間8日)に開催が決まって狂喜乱舞してしまったツケが2021年の我々の首を絞めてしまったのかもしれませんね。

次回も引き続きこのことについて書きたいと思います。

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