所長コラム(143)「“なぜ”の理由」

皆様、こんにちは。運動研究所の宮島です。

今年もついに師走です。私もついに今年「アラ還」と言われてしまう年齢になりましたが、本当に月日が過ぎるのが早く感じます。年が明けて2024年はどのような年になるのでしょうか?いよいよパリオリンピック・パラリンピック本番の年ですから、盛り上がる一年になってくれると思います。

さて前回は、前例踏襲には条件があること、そして理由が重要であることを書きました。今回も引き続きこの点について書きたいと思います。

私はこの「物事を行う理由」というのが重要だと考えています。特に昨今は多様性が重んじられていますし、SNSなどで自分の考えを発信することが容易になってきています。そのため、この理由というものを確固とした定義づけをしておかないと、反対の意見を表明されたときに抗うことが難しくならざるを得ません。また、理由が明確でない場合、突発的なトラブルや困難な事象、選択肢が生じた場合等に適切な判断ができなくなってしまう場合があります。以前にも書きましたが、例えばなぜ全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)を開催するのか。この大会は教育の一環なのか、純粋な競技大会なのか、興行なのか。改めて考えてみるとはっきり示されていない状況です。おそらく主催の日本高等学校野球連盟(高野連)と朝日新聞社との間でも認識が異なってきているのではないでしょうか。

では東京2020大会をなぜ招致したのか。開催することによって都民(あるいは国民)にどのようなポジティブな影響を及ぼそうと考えていたのか。選手のパフォーマンスを見ることによって心理的な高揚を感じさせたかったのか。いわゆる「箱もの」を作ることが目的なのか。開催を決定させたことによって、投票行動に影響を及ぼしたかったのか。立場が変われば開催理由が変わってしまっていたように感じますし、それがあの騒動の遠因であったのではないかと思います。

これからのイベントでは、2025年の大阪・関西万博建設費の高騰などによる建設の遅れなどで批判を受けています。今こそリーダーたちは大阪・関西万博を開催する理由を明確に発信すべき時ではないでしょうか。

次回もこのことについて書きたいと思います。

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