所長コラム(緊急投稿)「スポーツをする『意味』」

皆様、こんにちは。運動研究所の宮島です。
さて今回は緊急掲載です。

皆様もいろいろなメディアを通じて、大学アメリカンフットボールの試合で生じた危険なタックルについてはご存知かと思います。今回はこのことについて、運動研究所として感じたこと書きたいと思います。

実は私は、まさにあの試合を当日会場で観戦していましたが、その時はここまで大きな話になるとは全く思っていませんでした。(その後、どんどんメディアが取り上げるようになった訳ですが、危機管理に関する部分は今回は控えます。)

その後の報道を見ながら今回私が強く考えさせられたのは「あのプレーを生み出した原因はどこにあるのだろう?」ということです。私の中でのポイントは「スポーツをする『意味』」でした。
テレビなどを見ていて、大学だけではなく高校も含めた指導者のインタビューで「勝たなければ意味がない」という主旨の発言が出ることがあります。確かに勝利を目指して努力しなければ勝つことは難しくなっていくでしょうし、スポーツが相手と競い合う形式である限り、勝つということを意識する必要はあるでしょう。

しかし勝つことだけが目的であれば、数多くある学校の中、たった1校だけが意味のあることをしていて残りの学校がしていることは無意味になってしまいますし、目の前の試合に勝つことが何よりも優先されますので、選手に無理をさせることも容認されてしまいます。優秀な選手ほど勝つためには酷使されがちですので、次代を担う優秀な選手に無理をさせて一生残るケガを負わせてしまったりしては本末転倒だと思います。
あの大学も、かつては常勝チームとして栄華を極め、他の大学から「あの大学を倒すにはどうしたらいいか」とターゲット(というか目標)にされていましたが、最近は思うような結果が出せなくなっていました。近年の指導者は「あの頃の栄光を取り戻したい」という気持ちが強すぎてとにかく勝つということが目的化してしまったのではないか…と想像しています。

ですが、一生懸命スポーツをすることによって
自分の身体能力を伸ばす
目標のために、自己を律して努力できる
仲間を作り、規律を守る
リーダーシップやフォロワーシップを学び、組織の中での振る舞い方を知る
明るく健康的で快活な人生の礎を築く
など、選手にとって得られることが数多くあります。

今回の件でスポーツはあくまで自らを成長させる手段なのだと改めて気づかされました。スポーツに一生懸命取り組むことによって、人生を豊かに生きていく手段を手に入れていくことができるということです。他人を尊敬し、尊重して生きていくという考え方も身につくでしょう。

今回の件について書かれたNumberWebのコラムで、下北沢成徳高等学校バレーボール部の小川良樹監督が「高校3年間、バレーボールを嫌いにならないようにして、自分からバレーボールをやりたいという気持ちで次のステージに上げるのが仕事なんだろうと思います」と語られていることを読みました。帝京大学ラグビー部の岩出雅之監督も「学生は卒業してからの人生が当然長いわけです。そのためのステップの期間ですから」と同じコラムの中で語られています。
アメリカの(本家)NCAAでは「for the Health and Welfare of the students」という考えから、人生でスポーツに挑戦できる時間は短いのでスポーツができれば他はどうでもいいということはなく、社会に出たときに通用する人間に学生を育てることに主眼を置いているそうです。

このような気持ちをあらゆる若年層スポーツの指導者が持ってくれれば、日本のスポーツは変わると思います。運動研究所も日本全体の人たちが笑顔になる手段にスポーツがなっていくように努力したいと思います。

次回は通常のコラムに戻る予定です。

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